3.オリエンテーション
11月11日、朝8:45に長男夫婦がHOTELに迎えに来て、1日中、パリの街を案内してくれる事になっていました。この日は丁度フランスの休日だったのです。何の休日だったかは、後で分かる事になります。朝6:30頃、目覚める。寒かったけれど意外と寝たように思う。あんなに食べ続けたのに、また腹が朝飯を食おうとしている。いけない、いけない、少し運動しなければ、と言うことで朝食前にHOTEL周辺の早朝の街角探索に出かけました。
HOTELを出て右を見たところ。 |
HOTELを出て左を見たところ。 |
オスマン大通りから北に300m程度入ったパリの下町の光景です。いいですね。。。 |
大通りを一歩入ると、まさに迷路。同じような町並みが続きます。 |
車が両脇に同じ方向で留めてあります。一方通行がやたら多いのです。 |
休日も朝、早くからCAFÉは開いています。 |
HOTELとCAFÉ、レストランが連なっています。 |
このパン屋さんで、腹の虫が騒いで、チョコレートパンを買ってしまった。 |
パリの街は三叉路だらけです。その突端にはこのように必ずCAFÉかレストランがあります。街角がみんな似ているので迷子になりそうです。
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これが宿泊したHOTELです。 |
HOTELで一番の楽しみは朝のバイキングです。どんな物が並んでいるか、ワクワクしながら同じ階にある食堂へ。う~っ、種類が少ない。野菜がない。これが、今日の朝飯です。ほぼ、これと同じ朝飯を4日間、食べることになります。
朝、テーブルに並べられていた料理を思い出しながら、書きます。
飲み物:水、牛乳、ジュース、珈琲
果物:普通のりんご、青りんご、キーウイ、西洋なし(総てそのままの姿で)
パン:クロワッサン、フランスパン、食パン
肉類:サラミソーセージ、ハム
チーズ:カマンベールチーズ
ゆで卵、ヨーグルト:2種、シリアル:2種
3日目の朝、次男坊が
「おとん、我々、食べ方間違ってた。パンとハム類、別々に食べてるやろ。フランスパンをナイフでこう開いて、この中に詰め込むんや。」
なる程、フランス語を喋っている方々はそうしていたようです。ゆで卵は非常に美味しかった。さて、今日の予定は、HOTEL⇒「パレ・ガルニエ」の前を通って⇒「ノートルダム大聖堂」⇒「エッフェル塔」⇒郊外の「シャンティイ城」⇒「モンマルトルの丘」⇒みんなで外で夕食、です。
創建850周年の看板
すずめと遊ぶおじさん。すずめは日本と同じ鳥、インターナショナルなのだ。
ノートルダム大聖堂、1163年、パリの司教モーリス・ド・シュリーによって建設が開始され、今年2013年に850周年を迎えた。ゴシック建設を代表する建物であり、ローマ・カトリック教会の大聖堂です。創建850年を迎えるにあたり、2012年12月12日から2013年11月24日の間、様々な記念行事が予定され、その中でも新たに制作された鐘が大きな話題となりました。
毎正時、この鐘の音が響き渡ります。まるでこの事を知らなかった私にとっては、突然の「鐘の音」。瞬時の驚きから、すぐに、心地よい気持に。。。。。日本のお寺の鐘の音と違う楽しさを含んだ音色でした。
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パリのランドマークのエッフェル塔。1889年5月6日に、僅か25ヶ月の工期でオープンし、5月16日から半年間のパリ万国博覧会に合わせて建築されたものです。
パリの街には、古い形を残したままの低層階の建物がずらりと道端に並んでいます。その多くが地上階は住居区となっているようで、街中を埋め尽くしています。観光施設、商業施設、事業施設、それに住居施設が完全に一体化した街並です。
近代的な高い建物といえば、パリ市内では、モンパルナスタワーと僅かだけで、あとは低層階の古い形をした建物が面積105.4Km2の中にぎっしりと埋まっています。その街の美しさや地勢的にヨーロッパの中心であることから、世界中の大金持ち
達がこの地になんらかの住居を構えているようにも思える街並です。
森記念財団都市戦略研究所、主任研究員の久保隆行さんの論文では、この街を「究極の都心型都市 パリ」と呼んでいます。パリ市、東京都(23区)、大阪市の基本情報の比較です。大阪市の面積の半分に大阪市とほぼ同じ人口が暮らしています。まさに、コンパクトに作られた街の見本なのです。
パリ市 | 東京(23区) | 大阪市 | |
人口(人) |
2,215,000 |
8,967,000 |
2,665,000 |
面積(Km2) | 105.4(2010年) | 622.0(2010年) | 222.5(2010年) |
以下、久保さんの論文から引用します。
「パリの住民は基本的にすべてが都心居住者であり、彼らの活動が都心の活力を強力にしている。GPICI(Global
Power Inner City Index) において都心部の0~5km
圏と5~10km
圏の人口を比較したところ、主要8 都市のなかでパリの中心部から5km
以内に居住する人口が上海に次いで最も多いことがわかった。人口密度に換算すると1ha あたり約250
人とニューヨークや香港よりも高いことに驚かされる。また、これらの都市は高層化が進んでいることに対してパリには100m
を超えるような高層建築物は僅かにしか見られない。多くの人がより地表に近い場所で寄り添いながら住んでいるのである。地上を見下ろすと道路と河川、緑地以外の場所はほとんど建築物で覆われている。人口構造物の歴史的な堆積によって構成されたユニークな街並みを都心居住者たちが支配しているのである。」
人口減少と高齢化が進んでいる日本では、全国のあらゆる所でコンパクトシティーを目指した都市計画が語られていますが、このパリの街の構造は大きなヒントになるように思います。
今、大阪では、大阪都構想なるものが、府と市の二重行政を解消するとの目的で知事、市長主導で進められています。確かに今までの役人達の放漫・ずさんな計画、管理が今の状況を招いた事は疑いのない事実ではあるが、行政の簡素化だけを目的とした都構想は将来の街の姿を全く提案していません。維新の会が作成した文書の中身もこの部分に限っては、具体的な計画は記述されていません。このパリと言う街の構造を見た時、大阪市はもっと地域エゴを追求(大阪市に住む事が得をする。)したコンパクトな将来的な都市の姿を単独で追求した方がいいのではないか、という思いになります。