8.パリの街角その2
11月13日(水)、晴れ。天気は日毎、変わっています。昨日の歩行距離、13.4km、歩数19,306歩でした。ドコモのガラケーに歩行計機能がついているのです。
この靴について、インターネットで調べたのですが、これぐらいしか情報がありませんでした。⇒http://norrsken.jp/guide/buy/nao-do-brasil/
まあ、1日ぐらいは大丈夫だろう。
さあ、ルーブル美術館へ、リターンマッチです。昨日と同じコースでギャラリー・ラファイエットに向けて歩いて行きます。少しぐらい道を変えて歩いていきゃいいものを。全く、融通のきかん連中です。心に余裕が無いというか。
この日は「Chausses d‘Antie La Fayetie」駅からルーブルに向いました。(Operaの1つ手前の駅です。) |
天気がいいのと、撮ったカメラが昨日のと違って高級なものを使っているので綺麗ですね。但し、ページの容量の関係で画質は低下させています。
新しい靴は軽いけど、「裸足で歩いている。」ような感触。なんか、違う・・・ウォーキングシューズではないような・・気になります。
ルーブル宮への入口の門です。 |
ルーブル美術館への入口のガラスのピラミッドです。 |
流石に今日は観光客が多いです。ルーブル宮の門を入るとアジア系の団体でいっぱいです。団体の後なんぞに並んでいたら、何時になったら入場できるかわからないので、さっさと追い越して入口へ。
美術館の中、広いです。人が多いです。まずは、「モナリザ」を探せ、です。
探すのに以外と時間かかりました。丸で迷路、案内板が正確ではないです。
「モナリザ」さんの前はもう人の群れ。あきません。まともに見れません。皆さん、じっくりと見るよりも、写真を我先に撮ってます。
次は「ミロのビーナス」を探せです。丸で、宝探しをしているような。
「ミロのビーナス」さんの周りも人の群れです。写真で分かるように、私達も含めてアジア系の人達でいっぱいです。
「目には目を、歯には歯を」で名高い「ムハラビ法典」です。ここは閑散としていました。
この美術館、言われるように、全部くまなく詳細にじっくりと見ようとしたら1週間ぐらいはかかるでしょう。広くて展示物が多いです。歴史の勉強をしながら見なければ分からないものが多数あります。絵とか彫刻などにあまり興味のない私にとっては、怒られるかもしれませんが、乾物が並べてあるだけのように思いました。人の息づかいが全く感じられない空間でした。
ただ、誰も周りにおらず、独りだけで居た場合、何か語りかけて来るものがあるのではないか、とも思いましたが、この人の多さは、感じる環境ではありませんでした。
若い女性達がやっていました。我々も真似をしてみましたが、どうでしょう??
「お~い、もっと右や、左や、上や、下や~」と大騒ぎしながらでしたが、決まってないなあ。 |
1日かかる筈のルーブル美術館を、1時間程度で堪能。「モナリザ」さんと「ミロのビーナス」さんを見たら、日本に帰って、「おう、それそれ、それは見たで。」と話はできる。
さあ、今日はルーブルとオペラの間の街を探索しよう。昨日はルーブルの前の通りを東へ、途中で南に曲がってノートルダムに行きましたが今日は逆に北に曲がってルーブル通りを行きます。
パッサージュとやらがある筈なので、見学に行こう。頭の中にある地図をたよりにGO。。
しかし、この頭の中にある地図が問題で、半分くらい欠けているのです。
パッサージュとは、「地球の歩き方」P48によると、「パリで最初にパッサージュが造られたのは1776年のこと。ガラス屋根に覆われたアーケイド・パッサージュは、やがて時代の最先端をゆくショッピング街としてパリ市民の注目を浴びるようになった。20世紀後半には衰退し、なかには閉鎖されたものもあるが、その後改修され、往時の雰囲気がよみがえっている。」と書かれています。
大阪で言うと天神橋筋商店街のようなものです。ただ、天神橋商店街は大通りと平行にありますが、パッサージュは大通りと大通りを結ぶように造られています。
ルーブル美術館を出てから、どの道を通ったか、撮った写真と、景色の記憶、グーグルストリートビューを見ながら再現しました。これを作るの、結構、時間かかりました。
行くべきパッサージュは地図の左上の緑色の線。我々が歩いた道は赤色の線で示しています。目的地と完全に反対の方向に行ってます。結論から言うとの今回のパリ旅行ではパッサージュは見学出来ませんでした。次回の課題としたいと思います。
上の図を見ると、ルーブル美術館を出てから、ルーブル通りを機軸に東側を探索してます。道が分からなくなったら、ルーブル通りへまずは戻る、を繰り返しています。同じ道を何回も通るという、全く、非効率な動きをしています。
足が痛いのに。この靴、本当に裸足で歩いている感触。石畳の上など、なんとも言えない、感触。痛い・・・
モントルグイユ通りです。 |
私が撮った写真を時間順に並べると上のようになります。いずこの通りもそれなりに趣きがあり、商店、CAFÉ,レストランが連なっていて、賑やかでした。楽しく散歩と、食事、買い物が出来るいい街筋でした。
写真の左下の通り、街灯があるモントルグイユ通りが一番、良かったかな。上の地図で言うと一番右上になる南北の通りです。
次男が撮った写真を時間順に並べると上のようになります。二人共、右下の写真はこの地域での最後の写真です。そして、ほぼ、同時に撮っています。サントスタッシュ教会の石段に腰掛けて、「腹へった」と言いながら撮った写真です。
さて、昼飯です。ご覧のとおり、この地域にはCAFÉやレストランはごまんとあります。
この季節にパリにいくのなら、絶対に「生牡蠣だよ。おいしいよ。」とフランスに留学経験のある友人から言われていました。なんとしても、食べなければ。
このお店の前を2回、通ったかな。「FRUITS DE MER」、直訳すれば「海のフルーツ」。生きている牡蠣やら、蟹、海老を売っているのです。このお店の隣に、レストランがありました。この二つは同じ店や。確信はないけれど、生牡蠣が食える。
レストランの名前は、「Au
Pied de Cochon」 ⇒ Au
Pied de Cochon
フランスパンとパテが先に出てきました。パテと言われても、これの食べ方が分かりません。多分、パンにはさんで食べるのでしょうが、パンだけでも十分に美味しいです。
「海の5種盛」が氷に乗せられて、バーンと出てきました。一番上に湯がいた海老、その周りに、生牡蠣、生アサリ、湯がいたつぶ貝、それに蛤と赤貝を足して割ったような生貝が並べられています、見た目、デラックスです。右側に座っている婦人が、指さして、なんか言うのですが、良くわかりません。多分、「これは美味しいよ。」なんて言ってたのでしょう。
長男夫婦も生牡蠣が好きで、よくあちらこちらで食べているらしいですが、数回、生牡蠣にあたったとか。
その症状、「初期症状は海の匂いがするゲップが出てくる。そのうちに嘔吐と下痢を繰り返す。」
処方箋、「脱水症状になるのを防ぐため、水、お茶をのみ続ける。これで、2日位で治るそうです。」
生牡蠣、食った。生あさりを初めて食った。蛤のような生の貝も初めて食った。ワインがなかったらあきません。水では消毒できません・・・・・・・
周りをあまり気にはしませんが、水を飲みながら、生貝を食っている東洋人は不気味に見えたでしょう。次男は危険を察知して、湯がいてあるものしか食べません。食が進まんようです。
半分くらい、残して、ラディション・シルブプレ・・・・・・・・
このお店、「地球の歩き方」P290、フランス料理・ブラッスリー(軽い食事やお酒が飲める庶民的なレストラン)のページに「店名のピエ・ド・コションとは豚の足の意味。名物の豚足料理や、パリで一番と評判のオニオングラタンスープを試したい」と書かれています。
隣りのご婦人は、「あなた方、なんてもん食べてるのよ。この店の名物は私達が食べている、これよ・・」と言っていたのかも。